【AC・不登校】偏ったこだわり
人間というものは、
あまりこだわらないところがあるかと思うと、
自分のこだわりをとことん追い求めていくところもある・・・
そんなものだろうと思います。
問題は、こだわらないところと、こだわるところの強度、と
比率のバランスでしょうね。
しかし、それが、自分ではわからない。
これは言い切っていいかと思いますが、1人では、わかんないんです。
こだわりは、信念となっているので、強く信じて疑わないわけだもの。
もし、どこかの某独裁国の首長に、「あなた、ちょっと偏ってますよ」と
進言したところで、頑なに拒絶されたり、
怒りの犠牲になり、脅され、排除されてしまいます。
家庭も、ある意味独裁国に、なりえます。
いえ、私ひとりが我慢し続けた人生と思われるかもしれませんが、
家族は、誰ひとり そうは思っていません。
独裁国の首長は、常におびえています。
自分のウソが暴かれることを・・・
だから、恐怖と不安を国民に与えて、真実から目をそむけさせ、
国民に隠し続けていきます。
もし、あなたの家庭で、
誰かが、慢性的に元気をなくしたり、人生に立ち止まってしまったり
感情を失って、下を向いているとするならば、
家庭でも同じことが起こっていると考えていいかと思います。
人間関係でも
自分が一番の犠牲者であると・・・もし、心密かに、
そう思いこんでいるならば、気をつけてください。
こだわるところと、こだわらないところ
それが、もしも、相手を苦しめるものであるならば
緩めていきたいものです。
では、一体だれの進言を受け入れるのか?
人を遮断していたら、恐ろしすぎて、誰も進言なぞ出来はしませんね。
「これを言ったら怒るよね」と自分に相手が遠慮(配慮)をすることが
すでに、本音で付き合えない位置を示していると思います。
遠慮されず、配慮されない関係が人の許容量を広げさせることになるでしょう。
人との関係こそが、自分のこだわりを壊すハンマーになるでしょう。
かわいそうな私・・・
実は、自分で作り上げた虚構の自分の姿。
裏切られた・・・
こだわりの強さがあればあるほど、裏切られたと思う回数、大きさはエベレスト級。
裏切られた私も、かわいそうな私も、自分が作った幻のようなもの。
しかし、それを突きつけられた時
当人のショックは、生半可ではありません。
ガラガラと、今まで信じて疑わなかった人生が崩れていくように感じます。
だから、こだわりが強ければ強いほど、
人との関係を遮断していくものなのです。
しかし、不登校・生きづらさが家庭にあるのならば、
自分のこだわりを、手放す時がきたのではないでしょうか。
あなたの虚構のこだわりのために、子どもたちが苦しんでいるとするならば・・・
あまりこだわらないところがあるかと思うと、
自分のこだわりをとことん追い求めていくところもある・・・
そんなものだろうと思います。
問題は、こだわらないところと、こだわるところの強度、と
比率のバランスでしょうね。
しかし、それが、自分ではわからない。
これは言い切っていいかと思いますが、1人では、わかんないんです。
こだわりは、信念となっているので、強く信じて疑わないわけだもの。
もし、どこかの某独裁国の首長に、「あなた、ちょっと偏ってますよ」と
進言したところで、頑なに拒絶されたり、
怒りの犠牲になり、脅され、排除されてしまいます。
家庭も、ある意味独裁国に、なりえます。
いえ、私ひとりが我慢し続けた人生と思われるかもしれませんが、
家族は、誰ひとり そうは思っていません。
独裁国の首長は、常におびえています。
自分のウソが暴かれることを・・・
だから、恐怖と不安を国民に与えて、真実から目をそむけさせ、
国民に隠し続けていきます。
もし、あなたの家庭で、
誰かが、慢性的に元気をなくしたり、人生に立ち止まってしまったり
感情を失って、下を向いているとするならば、
家庭でも同じことが起こっていると考えていいかと思います。
人間関係でも
自分が一番の犠牲者であると・・・もし、心密かに、
そう思いこんでいるならば、気をつけてください。
こだわるところと、こだわらないところ
それが、もしも、相手を苦しめるものであるならば
緩めていきたいものです。
では、一体だれの進言を受け入れるのか?
人を遮断していたら、恐ろしすぎて、誰も進言なぞ出来はしませんね。
「これを言ったら怒るよね」と自分に相手が遠慮(配慮)をすることが
すでに、本音で付き合えない位置を示していると思います。
遠慮されず、配慮されない関係が人の許容量を広げさせることになるでしょう。
人との関係こそが、自分のこだわりを壊すハンマーになるでしょう。
かわいそうな私・・・
実は、自分で作り上げた虚構の自分の姿。
裏切られた・・・
こだわりの強さがあればあるほど、裏切られたと思う回数、大きさはエベレスト級。
裏切られた私も、かわいそうな私も、自分が作った幻のようなもの。
しかし、それを突きつけられた時
当人のショックは、生半可ではありません。
ガラガラと、今まで信じて疑わなかった人生が崩れていくように感じます。
だから、こだわりが強ければ強いほど、
人との関係を遮断していくものなのです。
しかし、不登校・生きづらさが家庭にあるのならば、
自分のこだわりを、手放す時がきたのではないでしょうか。
あなたの虚構のこだわりのために、子どもたちが苦しんでいるとするならば・・・
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| 不登校とAC | 15:50 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑
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| | 2012/01/03 18:14 | |